おはようございます。
朝、思い切り猫と遊んであげたら疲れたようで寝てくれてます。
猫の寝姿は一種、たまらんね。
眠くなる。笑
思い起こせば、本当に欲しい!と思ったものは
大抵、手に入れてるなぁと。
当時、手に入れられなかったものも
時間が経過したら、なんらかの経過を経て私の手元にやってくる。
なんとなく欲しいなぁ、程度のものはないんだけど
うわぁ!欲しい!!
絶対、いつか手に入れてやるんだから!てヤツは大概、手元にやってくる。
それこそ、急に友人が「似合うと思って」とか言ってプレゼントしてくれたり
偶然入った古着屋で売ってたり。
そういう時、ああ、私の手元にくる運命だったのね!と思う。笑
だからきっと、いつかヴィヴィアンのアナスタシアも私の手元に来るに違いない。笑
そう思うと、手に入らないストレスとか薄れてくるよね。
高くて買えない!て思ってても
ある程度の年齢になったら手に入ったりするんだよ。
逆に手に入らない間は、その品物が
てめぇにはまだ早いんだよ!て言ってるようなもんなんだ、と。
(いや、しかしアルゴンキンのコートは、若すぎる気がしないでもないんだが…派手だし。
アイアンフィストの靴も派手だし…)
まぁ服に着られるような人間にはなりたくないので
そこだけは気をつけて、保つことを意識しなきゃな、と。
(体系だけじゃなく、精神とか、そういうものも全部含めて。自分を甘やかさない、てことが大事なんだろうな。歳を重ねれば、重ねる程、甘やかすことがダイレクトに結果に出てしまうからね)
今、読んでる本に(おおたうにサンの『うにっき』)
エルメスでお買い物をするシーンが出てくるんだけど
そこに100万越えるムートンコートが素敵だった、ていうシーンがあって
『だけどこういうコートはゆとりのあるクロゼットに、美しくかけておかねばならないんですよ。それが日常的にできないような人間には、いくらその時「買える!」と思っても、手に入れる資格はないんだろうね~』
て文章があって、膝を打つ程納得した。
ゆとりのあるクロゼット。
五万以上かかるクリーニング代(死)(100万越えるコートだと、そんなもんでしょ。値段)
そんなものが、当然、と
余裕で「え?こんなものでしょ?」くらいで出来ないと
そのコートに似合う、そのコートを着れる人間にはなれないんだろうな、と。
まぁ、私は三万のコートすら買うの悩みまくるんですけど!!!
一般人ならこんなもんだよね!!!
拍手、ありがとうございました!
らぶ!!
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