07 06 ダイ 『novel』 に 『ツァラトゥストラはかく語りき』 UP
マザードラゴンのオハナシです。
さて、誰が読むんだろう…コレ……
バランぱぱでもなく、ラー子でもなく、ダイでもない。マザーのオハナシ。
タイトルはシュトラウスの交響曲、ではなく(笑)勿論、ニーチェの方。
個人的に、ものゴッツイ嫌味を込めて、このタイトルに。
ニーチェ先生曰く 『神は死んだ』 ですから。
多分、高校生の時に読んだんだったと思うんですけど、意味わかんなかったんですよ。
で、今現在、まだ理解出来てるとは思わないんですが
そこかしこに散りばめられたキリスト教へのアンチテーゼは感じることが出来る…と思いたい…
うう、読解力…
続きは作品解説含むので、良ければ作品読了後にお読みください。
さて。
まず、マザードラゴンというシステムが僕には引っかかりまして。
再生と死を司る…ここまではいいんですけど、その後に続くのが 『母』 なんですよね。
『母』という主体を与えられておきながら、『死』を内包することに引っかかりを覚える。
これが『女神』とかならいいんです。
だけど、『母』はダメ。
そして、マザー(竜の騎士を生み出すシステム)
竜の騎士(世界を危機から救うシステム)
=母と子。と思った時に、なんて荒涼としているのだろう、と居たたまれなくなったんです。
世界の危機の度に、母は子を孕み、産み落とし、戦場へと送りだす。
何度も、何度も。危機の度に。
そして子は、その命のある限り戦い続ける。
何度も、何度も、危機が起こる度に。
どこにも繋がらない生。
どこにも行きつかない生。
こうなったら、書きたいと思ったんですよ。
つい。
魔がさして…(死)
で、行きつく先は実はバランパパン、生き返りプロジェクトだったりするんですけど…
そこまで行くと長くなりすぎるので、今回はここまで。
次はマリアが頑張る!(笑)
しかし、今回資料の為にダイの大冒険単行本24巻の台詞をそのまま引用したり、と
ちゃんと原作を意識した作りになってます!
(というか、ダイがマザーと会う、あのシーンを入れるのは最初から決めてたので…
で、そこまで書いて、読んでみて、前後に齟齬が出て慌てふためいて収拾を計りました…
こうゆうのは最初からちゃんと頭の中に叩きこんでおくべきだね!!)
で、そのまま読んでたんですけど(死)
ダイの最後の巻らへん(ゴメが死んじゃうくらい)で、バーンが神の涙の説明をしてくれるわけですよ。
神の涙の所為で、今まで何度も世界のバランスが崩れた、と。
神の涙も、神の創りだしたアイテムで
竜の騎士もそうで。
竜の騎士は世界のバランスを保つために、その命を賭して戦い続けるわけで…
それって…何処までも神の手の上っていうかさ…
あまりにも、あまりなんじゃない?と思ってしまう。
神の涙の所為で起こった戦争があったとして
その戦争で戦って散った多くの生命があって
そして、その戦いに赴いた竜の騎士がいて
その全ては、神の独りよがりにすぎない。
いたたまれん!!とか思うわけです。
で、そんなイライラを堪えているところに、バランぱぱんがマザーに言うんですよ。
ダイを生き返らせる云々のところで。
『神が与えて下さった最後の希望。
その為に神はこの子を世に生み出させたのではないか』 と…
うう…アンチる…
と言った次第でタイトルは『ツァラトゥストラはかく語りき』に決定。
システムってなんだろう?
秩序ってなんだろう?
ソレは誰の為のものなんだろう?
結果的に、それで幸せになるのだろうか?
知らないこと、無知なこと、それは幸せなのだろうか?
そして、僕たちは無知であるがゆえに何かを傷つけて生きている。
何かの犠牲の上に、生きている。
なんか、何が言いたいか分かんなくなってきたや。
まぁ、何か感じてくれればいいなぁ…
それでは、サンマが焼けたのでご飯にします★
拍手、ありがとうございました~
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